一人暮らし。 [子育て]
あらためて思い出すと・・・。 [子育て]
◆子供が生まれて1ヶ月と少しが経過した。
すくすくと育ってはいるが、先頃、私が引いた風邪が染ったらしく、鼻はズルズルいってるし、コンコン咳をしている。生まれて1ヶ月で風邪を引かせるという失態をしでかしてしまったことに、妻と二人して反省しているところである。
しかし、やはりかわいい。自分で言うのもこっ恥ずかしい話ではあるが、どうも父親に似たようで、目がクリクリっとしていてかわいい。親の不始末を棚に上げるようではあるが、咳やくしゃみまでかわいい。とにかくかわいい。
また、最近は日に日に知恵をつけてきているのもわかる。最初は腹が減った時と、オムツを換えてほしい時にしか泣かなかったのだが、最近はそれ以外の時も泣く。かまってほしい時などが特に顕著で、抱っこしたらすぐに泣きやむ。そういう時は、(当り前ではあるが)赤ちゃんも人間なんだなぁと思う。
◆このように、少しずつ人間らしくなっていく赤ちゃんであるが、1ヶ月ちょっと前は母親の腹の中にいたわけである。今、本人を見ると信じられない感じがするが、まぎれもない事実である。
そう考えると、やはり子供が生まれてくる、というのは奇跡なんだなぁと思う。今になってあらためて思い出すと、出産は素晴らしい経験であった。
出産の手法にもいろいろとあるようだが(有名なのはラマーズ法)、我々がお世話になった産科はソフロロジー法という手法でだった。ソフロロジー法の考え方によると、出産時に関わる大変さの合計を10とすると、その負担配分は赤ちゃんが8で、母親が2らしい。だから、母親は陣痛を自分を苦しめるものではなくて、赤ちゃんが生まれてくるために必要なエネルギーと捉え、自分よりも赤ちゃんのほうがずっと大変なんだから、応援してあげなきゃ!、と前向きな姿勢で出産に臨むのがソフロロジー法の原則とのことである。なお、陣痛は赤ちゃん自身が出てきたいと思わない限りは始まらないらしい。
という前向きなソフロロジー法では、父親も当然のごとく出産の重要な役割の一端を担っており、陣痛が始まって以降の妊婦の物心両方のケアをすることとなっていた。というわけで、会社がちょうど休みだったこともあり、陣痛が始まる前からずっと付き添っていた。
本格的に陣痛が始まってからもずっと付きっ切りで、痛みを少しでも逃がすために腰のあたりを押してあげたりして、何となく役に立っている感じだった。 が、分娩台に上がってからはまったくの無力で、手を握ったり、たまに汗を拭いてあげたりするぐらい。あとは何の意味もないが、妻と一緒に息んでみたり、深呼吸をしてみたり・・・。陣痛前までは五体満足で産まれてさえくれれば、なんて考えていたが、そんなこと思い出す余裕はまったくなく、ただただ迫力に圧倒されながら、妻と一緒にがんばっている気になっていた無力な夫であった。
やはり出産のクライマックスは、必死になって産道をこじ開けて出て来ようとする赤ちゃん自身、極限の痛みに耐えながらも赤ちゃんが出てきやすいようにする母親が主役であり、その様子を冷静に見つめながら、適切に対処するお医者さんと助産婦さんが名脇役、といったところか。父親はチョイ役であった(笑)。
◆我が家の第一回目の出産はこんな感じであった。
人によって出産時の、置かれた状況や事情は様々であろうと思う。が、もし、これから初めて子供ができるというお父さんがいらっしゃったら、ぜひ立ち合うことをお勧めする。できることはほとんどないが、人が生まれてくるというのは、こんなに大変なことなのか!、ということがおわかりいただけると思う。
月並みな私。 [子育て]
◆先週のはじめに無事に長女が誕生した。予定日通りに、しかも父親の夏休み中に産まれてくるとは、なんて律儀な子なんだろうと、しみじみ感じた次第である。
母親もなんとか無事であり、病院から退院して今日で一週間になる。
しかし、赤ちゃんというものはたいへんかわいい。その中でも特に我が子は飛び抜けてかわいい。一緒に病院にいた余所の赤ちゃんよりも、圧倒的にウチの子がかわいかった。
月並みであるが親バカになっているが、今はなぜか嬉しい私である。
◆こうして私は月並みな父親になったわけだが、だからといって特に何かが変わったわけでもなく、特に仕事などは相変わらず多忙である。
さすがに産まれた翌日は、午前中にちょこっとだけ会社に顔だけ出して、後は休暇を戴いた。
しかし、その翌日からは休みボケなんて言っていられるような状況ではなく、しかもこの時期はたいへん忙しいタイミングなので、産まれた週から、さっそく連日深夜残業の日々であった・・・・・。
こんなことでは、土日しか子供に会えない、典型的な日本のサラリーマンになりかねない。子供がもうちょっと大きくなったら、「お父さん、今度はいつ来るの?」なんてことを言われないようにしなければ・・・・・。